川越白門会 今昔物語

〜川越白門会の歴史を紐解く〜諸先輩方の回顧録


〜平成の道のり〜

川越白門会再建のあとさき

会長 松永勝治

 川越白門会が昭和35年(1960)頃 栗城映(昭16卒)先生が会長となったのを最後に諸般の事情は語られることなく休眠状態に陥り月日が経ちましたが、いかに再建を果たしたのか?このような中で、平成元年の埼玉支部総会に出席した平野伊助氏(昭30卒)は休眠中の会長栗城映氏(昭16卒)、舟橋功一氏(昭30卒)、自身松永勝治(昭38卒)と川越白門会再建を図ることを誓い合い、早速活動を開始しました。

 先ずは会員の把握から始め、多くの方々の協力により130名の名簿を作成することができた。この会員の中から数名の幹事をピックアップし、平成元年10月24日に幹事会を開催することが出来ました。さらに、会員増を図る呼びかけと、平成2年の春にはセレモニーを行うことを決定し、この旨を文書にして発送しました。この結果、会員は160名に達しました。

 次に、平成2年2月17日の幹事会では、総会並びに懇親会を同年4月15日に開催することが決まりました。引き続き規約制定、役員候補選定、総会通知の発送、名簿の確認作業等のために数回の役員候補を含めた幹事会が開催されました。

 ようやく準備も整い、待ちに待った総会が、平成2年4月15日「川越平安閣(現在のラ・ボア・ラクテ)」にて開催されました(出席者45名)。先ずは栗城映会長のご挨拶の後、渋井慶之進氏(昭28卒)が新会長に就任されました。

 このあと懇親会に移り、最初に埼玉支部長大澤操氏からご祝辞を頂戴し、参加者全員が3分間スピーチに立ち、酒を酌み交わしながら旧交を暖める、同窓のよしみならではの盛会になりました。このようにして、新しい川越白門会は無事航海に出帆したのであります。

 平成3年からは第一部総会(協議)、第二部講演会、第三部懇親会の三部構成になりました。

会長を渋井慶之進氏→平野伊助氏→秋庭敏男氏とつなぎ、平成26年には私(松永勝治)に順番が回ってきました。11月22日この年にオープンしたウェスタ川越多目的ホールで学員会埼玉支部

定期総会が開催され、総会の議長を私が務めました。平成29年の定期総会では当白門会念願のホームページ開設が沼田洋順幹事より披露されました。いま埼玉県の地区白門会で唯一のホームページです。皆様、お時間あるときは是非当ホームページをご覧下さい。

  

 (平成31年4月20日 30周年記念定期総会資料 会長手記より抜粋)

平成の歴代会長と役員の錚々(そうそう)たる顔ぶれ。

真ん中の手を合わせている方が初代会長の渋井さん、右端が第二代の平野さん、左が松永、左端が秋庭さん、胸章さんは埼玉知事の土屋知事、渋井さんと土屋さんの間は川越市長の舟橋市長です。


〜昭和から平成へ〜

川越白門会の歩み

前会長 秋庭 敏夫

 「今の若者は」という時には、己が歳をとった証拠と言われますが、今の若者がもっと大勢で白門会に参加してくれればとの思いから、川越白門会の昭和30年代頃の状況を述べさせて頂きます。

 私が大学に入学した昭和32年当時、川越白門会は、松山義雄(代議士)先生を中心に活発に活動しており、ちょうどその前年の暮れに完成したばかりの新居(前川越市長・舟橋功一氏 宅)に、遠慮も無く出入りさせて頂いたものであります。OBと一緒に現役の学生も諸活動に加わる傍ら、市内在住の白門の先輩宅をめぐり、会費を集金するなども致しておりました。その頃には、前埼玉支部長の持田謙一氏(昭25卒)が川越にお住まいになっておられ、良く先輩としての範を垂れて頂いたと伺っております。その後輩には滝嶋巌(昭29卒)、平野伊助(昭30卒)、益子弘道(昭30卒)各氏などが続きますが、いずれも私からは大先輩で御座いました。

 更に、当時はOBも学生達も、四年に一度はやってくる選挙運動には大いにお手伝いさせていただいたものであります。その中には杉田高次氏(昭29卒)もおられ、昭和33年頃、松山義雄先生の選挙運動をお手伝いさせて頂いた記憶も御座います。その年の10月に松山義雄先生が病魔に倒れ、次いでご夫人の松山千恵子先生(松永東先生のご息女・舟橋功一前市長の義母)が昭和35年に国会議員に当選(昭41年厚生、46年郵政政務次官)され、私もこの時まで選挙に係わらせて頂きました。この時、松山千恵子先生に無理を言って、父君・松永東元文部大臣直筆の色紙を頂戴しました。現在でも自室に掲げております。

 その後、白門会長に栗城映(昭16)先生が就任し、昭和35年には、ローマオリンピックで中央大学の藤本達夫氏(昭37卒)が水泳で銀、そして田辺清氏(昭36卒)がボクシングで日本初の銅メダルを取り、川越白門会として、この両名を川越の松竹映画館(現スカラ座)にお招きした懐かしい記憶が御座います。その後卒業、就職と進んだ私も新入社員の立場と多忙から、白門会には疎遠がちとなり、かつ、なんとなく求心力を失った川越白門会は暫くの休眠状態となったのであります。

 そのような中、大沢操元埼玉支部長等から強く川越白門会再開のお声を掛けられ、平成2年、渋井慶之進(昭28卒)元川越白門会会長が再建を果たして頂き、再建後の川越白門会の年齢は、只今18歳となったのであります。今後はこの白門会の永遠の存続を願って、現職役員一同努力して参る所存であります。

   (中央大学学員会 埼玉支部「六十年のあゆみ」平成19年11月発行 より抜粋)